7-4-4-1. 権利・義務は、理性的人格の間での社会規範
権利は、価値あるものの享受の資格であり自由であるが、その実現には、これに関与する者がその享受のための負担、義務を担う覚悟をして、この義務の苦痛を甘受する忍耐を引き受けることが必要となる。その忍耐には、快不快の感性の動きを抑止することのできる理性的な営為が可能でなくてはならない。義務の負担、苦痛甘受を感性に逆らって行えるのは、理性的存在、人間のみである。動物には、自身に苦痛の義務を負担する自由意志をもつことなど不可能である。動物が、義務的場面になってそれを実行しないからといって、これを説得することはできない。だが、ひとであれば、それが義務と分かることであり、納得するならば、いやいやであっても自身を鞭打って義務遂行へと向かう。
権利・義務は、なすべき、あるべき当為としての善(悪)の規範意識をもって、意志が選択するもので、選択の自由が前提になる。義務は、なすべき善規範であるが、場合によっては、これを拒絶することもできる。権利は、享受の資格がありこれを自由にできることで、権利を行使しない自由も含めての選択意志をふまえたものである。権利・義務という規範への意識は、普遍的概念的世界を担う理性的存在のもとで可能となる。感性的能力しかない動物には不可能な、人間種のみに存在する営為である。享受の資格があるとして権利を知っても、ひとは、場合によっては、これを遠慮できるし、権利がないとなれば、享受できるものが眼前にあっても理性意志をもって自身の感性欲求を抑止してこれを断念することもできる。だが、動物には、感性抑止の理性意志などないから、そんなことにはおかまいなしに、感性的衝動のままに振舞う。
権利と義務は、理性的存在者同士の、規範への意志を承認しあった共同的営為となるのでなくては実効性をもたない。相互が規範を守ることを踏まえて成り立つものである。自身が権利をもつとき、同時にその関与者が義務を担い、自然感性を抑止して苦痛を引き受け義務規範を守ることを前提とする。相手は、相手で、自身の義務的営為において、向かい合う者の権利の成り立つこと、それを期待していることを承知している。相互に理性的な人格主体としての自覚をもち、権利義務の成り立つ共同体の成員であることを承認しあっている。動物は、享受の権利という規範意識をもつことができないし、義務を担うべき段になっても、苦痛の負担を担わねばならないという意志などもつことはない。人同士においてのみ、権利義務の営為は可能になる。
しかし、だからといって動物に対する倫理的配慮が不要になるわけではない。動物は義務を担うことはできないが、快を享受し苦痛を避けたいという感性は確かに持つ。それを踏まえて、人間が動物に対して一定の擬制的権利を付与することは可能である。これは、動物自身が権利を自覚し求めるからではなく、人間が自らの義務として動物の利益を守らねばならないと決意することをもって成立する。動物権は、人間の側の倫理的覚悟によって支えられる擬制的なものにとどまる。