7-3-5. 近未来の人類は、どうなるのか
人類史は、農業、工業といった生産・労働をその生活の最重要な営為としてきた。今もなお、基本的には苦痛・苦労の労働をもって生活は成り立つということで、生産・消費の経済的営為が社会の中軸・根幹となっている。だが、情報社会の進展とともに、ロボットが労働者の代わりをし工場など無人化することになり、生産活動にはほんのわずかの人員が参加するだけとなって、物質的財貨の生産の役割は、小さな意味しか持たないものに、些細なものになりつつある。生産・労働は、大切で不可避の営為ではあるが、河川管理のように、必須ではあってもごく少人数で間に合い、社会全体にとっては小さな役割しか持たないようになり始めている。生産手段の共有化を柱とする社会主義・共産主義が、労働搾取の資本制に代わる体制として憧憬された時代があったが、これが政権を取ったところではすべて邪悪な独裁制となって、絶望させた。もっと別の道はないのだろうかと悩む人がまだいるが、もう生産手段を社会の中軸におくという発想自体が成り立たない時代になりつつある。
現代人の多くは、なお、生きるためには生産・労働に基礎を置くことが必要という思いから抜けがたいので、未来社会が労働を無用にするとなると、何をもって生きていけばいいのだろうと、不安になる。労働せずに生きるということですぐ想像するのは、失業・貧困・餓死といったものになる。だが、工場も商店もロボットが支えるのであれば、圧倒的な国民は、これまでの賃金労働とは縁を切らねばならないのである。せいぜい週一日工場で交代で生産管理の仕事をすれば済むといったことになろう。あとは、自由にすればよいという時代になる。もちろん、生きるためには、そのための糧が得られねばならない。その道を確保することさえしっかりしておけば心配無用、各人、好きなように自由に、したいことをして生きればよいという時代になる。その心配な糧の確保は、おそらく、今言われているものとしては、国民全員の生活を保護するベーシックインカム(基本所得保障)といったものになりそうである。
皆好きなように、自由に生きればよいという時代がまもなくやってくる。とはいえ、これまでの社会・歴史でも、国家全体としては、ありあまる豊かな経済的価値を生産していた。それでも、国民は、貧困であって、支配階級のみが冨を享受する階級社会になっていた。情報社会になるとともに、その覇者が、既存の経済活動の習慣を利用して、冨を独占し貧富の差をむしろ拡大している。それが未来も続くのではと思いもする。これまでの社会では、貧困の被支配階級のものは、貧困であるだけではなく、強制的に労働・生産させられ、自由を奪われ奴隷的状態におかれていた。その労働の搾取があってはじめて支配者(領主とか資本家)の豊かな生活は成り立っていた。だが、これからの社会では、もはや、労働・仕事自体がなくなるのである。無人で生産がなる時代である。苦痛の仕事が、労働がなくなるのである。強制され自由を奪われることがなくなり、あとは、各人、すきなようにしたらいいという時代になる。
現在は、情報関連の企業家たちによる冨の独占が目立つが、それをやめて、国民全体の冨にすることがないと、労働という収入源を絶たれたままの国民の生活は、しだいに成り立ち難くなってきている。現在の、情報関連に基づいた冨の独占は、単純化して言えば、特許権とか著作権(いわゆるコピー権)といったものに依っている。しかし、それは、発明とか発見等を促進するための無理やりの政策として近代になって作られたものである。本来的には、自然的には、これらは、物質的な富とちがい、だれもがこれを見知ったら自分のものとでき自由に利用できるものである。コピー権といってコピーを禁止し情報を独占して、使用料を取り立て冨を独占しているが(パソコンのOSのWindowsは、版を重ねて長年にわたって膨大なお金を世界中からマイクロソフト社に吸い上げている。それに対してLinuxのOSは、減るものではないコピーのこと、無料で通している)、コピーは、本来、物質的財貨を分けるのとは異なり、いくらこれを分けても少しも減るものではない。その人為の不自由、禁止の強制をやめれば、万人のものとなる類いのものである。さらに言えば、著作権・特許権というが、優れたアイディアを思いついたのは、それに先立つ者の知や技術をただでコピーし利用しえたからである。歴史を重ねた人類の英知がそれを可能にしたのである。その人類の英知を支え続けている現代人をその利用・享受から排除して独り占めするのは、高いところにある果実を取ろうと、多くの者が肩車を高く組重ねピラミッドを創って、たまたまその一番上に立ったものが、自分が手にしたのだから全部自分のものだというようなもので、身勝手で強欲である。そこから可能になっている冨は、万人の分有とするのがまっとうなことである。それをやらないのなら、無職となった全人類は、強制的に自分たちの権利を、コピー権を真にコピーできる権利とすることを強行し、不当にコピー(禁止)権で得た冨を国民は取り戻す挙に出ることとなろう。その権利の行使は、ささやかには、ベーシックインカムになり、あるいは、国民の貧困度が大きくなっておれば、一部では暴力的な革命となる可能性もあろう。もっとも、人間のする労働が無用になりロボットでの仕事が圧倒的になるとともに、人件費がいらないのだから物価はどんどん下がって、冨を独占している者から冨を返してもらうことは無用になるかも知れない。