7-4. 苦痛は、動物の権利の根拠と見なされることがある
権利は、自身の利とし価値とするものの享受の正当性を主張する。享受の侵害で苦痛となることから自身を守る盾が権利である。水利権は、貴重な水を利用し享受する自由をもつ特権で、この特権がないがしろにされ、その水利用の自由が侵犯されて被害を受けると、苦痛となる。その侵犯、苦痛が生じないようにと保護されるべきことを、当然のこと正当(right)なこととして権利(right)とする。その生のもとでの益あるものの享受を侵害されての苦痛は、ひとだけのことではなく、動物ももつ。ということで、動物にも権利があると主張をすることがでてくる。近代の快楽主義である功利主義は、快(=善)苦(=悪)をひとの生の根本原理とみなし、そのことは動物も同様だからと、「動物の権利」を主張することに結び付いていった。
動物の権利をいう人でも、人間には教育の権利をいうが、動物にはこれを言わない。動物は、教育に利・価値を見出さず、それを享受したいと思うことはなく、そこに苦痛を抱くこともないから、そういう権利とは無縁である。権利には、それを享受する能力が前提されている。享受の能力をもっての、その享受の正当性(right=権利)である。動物は、生きて動くものであり、自らのために利あるものの享受を求める権(重み、威力)を有しており、権利(享受の威力・正当性)をいう資格はあると主張することが可能である。生の享受が抑止され侵害されると、動物も当然、人と同じように、これを苦痛とする。生きることを制限され、残酷に傷めつけられ、ときに命さえ奪われているのは、痛ましいことである。そのことから、動物の権利を主張する人たちは、ちょうど、ひとがひととして生きる権利を生存権(right
to life)といい、人権(human rights)をいうように、動物も苦痛から自由になって生きる正当性(right=権利)、動物権(animal
rights)を持つという。
権利が、それの享受は正しい(right)ことだと主張するのみでは、その実効性は心許ない。関係者に義務としての負担が課せられてはじめて権利は実効性をもつ。漁業権をもって一定の領域での漁業の享受の自由、その行使の正当性を通すためには、それ以外の人々への禁止がしっかりと守られることが肝要となる。権利は、享受することができる自由をいうのに対して、対応する義務は、その自由を侵すことの禁止について、この禁止を守るべきこと、守らないことは許されない、守らない場合は制裁が加えられるという。権利が実効性をもつには、これを侵して苦痛を与えるものに対して、侵さない義務を課すことが必要であり、さらに、これを厳守するように監視し罰する機関の義務も求められる。動物権が実効性をもつには、ひとが動物の生存を守り、虐待して苦痛を与えたり殺害するようなことをやめる義務をもつことが必要となり、これを侵すことを監視し処罰する機関等の義務も求められる。権利によっては、自由な享受に支障があったり不十分にしか享受できないものを守り支える保護・支援の義務が肝心となる。その保護ができないのであれば、権利は名ばかりで実効性が伴わないことになる。子供の人権とか教育の権利は、単に侵害を禁じる義務のみでなく、その権利を実効性あるものとするために、積極的に保護し、養育に直接間接に関与していく責任が公的な機関あたりに義務として課される。