7-4-1. 権利をもつとは
権利は、「権」と「利」からなり、明治期に英語のrightの翻訳として創作された言葉だが、その「権(權)」の漢字の組み立てはというと、雚は、コウノトリを象り、バランスを象徴し、木偏ということで木造りの天秤をイメージさせたものだとか。量ることであり、重みであり、威力を意味するものになる。「利」は、禾(のぎへん)が穂を垂れた稲などの姿で、「刂(りっとう)」は立刀で鋭い刃物になる。利は、刈り取った実りを表わし、価値あるもの、利益を意味する。「権利」の全体は、享受できる有益な価値あるものへの重み・威力のある様である。だが、自分だけで享受への重み・威力をもつのだといってもはじまらない。その重みをそれとして関係者が承認することがあって初めて、実効性をもった権利となる。そのしっかりした、頼りになる権利は、他のものがこれを侵さないという、侵すことの禁止、あるいは、その享受を擁護・保護することへの義務的強制があってのことである。
漁業権は、漁業する権利だが、太田川の漁業権を持つ者が、自分には権利があるのだ、威力があるのだとうそぶく傍で、権利のない者が自由に魚釣をしているのでは(太田川の魚の多くは、昨今、法的権利をもたない鵜たちのものとなっている)、権利とは、名ばかりである。その権利は、周囲の権利を有さない者の漁の禁止の義務が課されていてはじめて実効性をもった権利となる。権利は、これの享受を自分たちが独占して、ほかの者の利用・享受を禁じ排斥する威力を有したものである。権利から排除された者には、これを侵害しない義務が生じる。侵すことは許されないという強制の義務である。その義務があって権利は実効性をもつ。権利はあるが、外の者が好き勝手をするのを許しているのでは、権利における享受の自由は守られない。権利を守るとは、外の者がこれを侵さないように守ることであり、侵したら処罰をうけ、侵すことの許されない義務が課されるということである。このような権利の場合、権利と義務は、双務的、互恵的である。太田川水域での漁業権者には、河口の外の瀬戸内海の海面漁業権を侵さないという義務がともなう。広島湾の漁業権者には、河口をさかのぼって蟹や魚を獲ってはならないという義務が課せられる。権利と義務は、相互的で、義務を果たせば権利があり、権利をもつには、義務が求められ双務的である。人の社会的営為は、「目には目を」の対等・平等性が前提になっているのが普通で、自身が権利をいうのなら、他者の権利を承認してそれに関わる自身の責任・負担となる義務も受け入れねばならない。
権利を実効性有るものとする、負担としての義務は、単に禁止という義務だけではなく、その権利を有する者の享受を実現する苦労を、関係する者たちが背負うものとなることもある。売買では、物を買ってお金を支払った者には、その物を受け取る権利が生じる。この権利を実効性あるものとするには、売った側が、商品を渡す義務をもつのでなくてはならない。あるいは、弱者の権利の場合は、しばしば、その権利を有するものを直接間接に保護し援助することが関係者・機関に求められ義務化される。生存権は、侵すのを禁じてこれを義務化するだけでは守れないことがある。障害で自立して生きていけないような場合、関係機関が積極的にこれを援助し保護することが、その権利への義務として課される。権利(right)は、正当な(right)享受への妨害・侵害を排斥し、あるいは関係者からの保護をもって、この享受を「正しい(right)」こととして勧める。