6-7-7-3. 過去からの自己を生き、創造的破壊・脱皮を反復し未来に生きる
現代人は、地理的空間に関して地球規模に広がった日常生活をしている。身近にある物の出どころをたどっていくと地球の裏側から来たものであるようなことが分かる。また、時間的にも、はるかな過去を自分たちのもとに見出すことも多い。今使用している文字は、漢字であれば、中国の古代にさかのぼる。あるいは、アルファベットも日々使用するが、古代の中東を思い、さらに古代中世の文明に思いをはせることになろう。人類の経験を蓄積して現代が可能となっているのである。
経験世界の拡大は、時空間にとどまらない。感覚的経験世界を踏まえつつ、それを超越した超経験的な理念世界が聳えたっている。感覚と理性との総合からなる世界が広がっている。そういう広大な世界を踏まえながら、各人は、己の過去を踏まえて現在に生きる。その現在は、誰とも代替できない天上天下唯一の実存の生である。しかも、過去から現在に生き続けてきたのみではない。未来が真の目指されるものとして、自身を駆り立てていく。真実の自己は、未来にある。未来に向かって目的を立てて前進し、さらには遠い未来をも目指して生きている。自身の前進は、過去を捨てること、自己否定することに始まる。現在の自己をも否定し破壊して、未来の自己へと、創造的破壊をもって生きる。チョウやバッタのように脱皮を繰り返して、過去を破壊・破棄して未来に人は生きる。未来の自己は、自己否定・自己破壊をもっての自己の実現であり、真実の自己への還帰である。
無限大にも広がる世界に生きる人間であるが、それが可能になっているのは、これを阻害し妨害するものを除去し、これを乗り越えていくことがあればこそであろう。快で、好奇心を満たすことが駆り立てていく場合もあろうが、そこですら、妨害があり困難があるはずで、苦難・妨害を乗り越える姿勢がなくては広大で高尚な世界に至りつくことはできない。アダムは、神からエデンの園を追い出されて苦難の労働をすべき存在にされたというが、その苦難に耐えて働くという根本姿勢は、確かに人類の在り方である。苦痛を甘受し、これから逃げることなく忍耐するという姿勢である。それが、人を人としたのであり、尊厳の存在としたのである。
各人は、小さな唯一の実存を核にしつつ、広大な世界にとかかわりをもち、過去を踏まえ現在の瞬間に生き未来にと自身を歩ませる。それは、感覚感性の自然世界を踏まえ、かつこれを超越した精神的理念的な世界であるが、これは自身の獲得した理性がそれを可能とする。現在の各自は、理性的に未来を描き現在をその手段・プロセスと位置付けてそこに生じる困難・苦痛から逃げずこれを甘受し忍耐を重ねて、幾度となく自己否定・自己破壊、創造的破壊の脱皮を繰り返して、より価値ある自己の実現へと歩みを進める。ひとが至高の存在として尊厳を有したものであるのは、理性的に生きて広く高く世界を拡大してきたことにあるが、その貴く困難な歩みが可能になっているのは、どんな苦難・苦痛からも逃げないでこれを甘受する忍耐・我慢があればこそと言っても良いのではなかろうか。