6-7-8-3. ひとは、個でありつつ類的全体に生きる
人間を含めて生命は、環境世界に対して、独立した個として生きている。その個体の生の有機的諸組織は、手とか足がそうであるように、生個体の部分として整然と、一全体としての個の営為のために統一的組織的に動く。手足という部分は、自立することなく、全体の動きに合わせてこれの統制下にある。統一的全体をなすこの生個体は、自立的に動くが、その個を集合させた大きな一全体をなすこともある。その集合的全体のもとの個は、一生命の手足のような部分とちがい、個として自立的で自律性をもって動くことが普通で、全体の部分には還元されない独立性をもつ。しかし、個だけで単独で生きる生命体もあるが、その類の再生産のための生殖、養育の活動はもちろん、個の生の維持のためにも、大なり小なりの集合的全体をもって生きていくのが一般的である。
全体と個の在り方では、個の営為をさほど縛らない緩やかな全体もあるが、多くは、個をその全体の部分品、消耗品扱いする。アリやハチの場合、個は、一全体の従順な部品に近く消耗品扱いとなる。個の独立は、希薄であり、全体から離れた場で、その個の孤立状態において個体維持に動く程度であろう。その所属の全体からの独立・自律の動きは持たないのが一般である。全体あっての個であり、全体が個に先立つといってもいい。だが、人間の場合、個体は、その行為の意思のレベルからして、全体(共同体)の部分としてのみ動くのではなく、その個体自身の生のために動くことが一般である。全体からの自由を有する。人間は、自然を超越していて自由であり、その所属の全体からも自由である。全体あっての個であるけれども、個が先立ち優先的であるのが人間の特質であろう。
人は、理性を備えた類的存在であるが、個としては、全体とは異なる各自の固有性をもち、その土台には自然的生命体としての食や性の欲求も有している。この個独自の欲求・衝動は、全体の求めるものとは相いれない状態になることも生じる。個として自律的で自由であるから、全体に反する意思も当然もつ。自己内で、全体的理性意志と、個体の個別的反全体的諸欲求との背反する状態になることが生じる。自己内で個と全体が葛藤することになる。原則的には、個のうちの良心が個の利己的な欲求を抑制して理性的なふるまいをとるが、命に関わるような事態に際しては、個の欲求・衝動は強力なので、良心・良識をないがしろにして、個のエゴを通すようなことも生じる。全体を代表する者が、個を尊重せず無暗に犠牲にするような場合、自律自由の個的主体は、全体の理不尽な命令には従わず、逃走や反乱をもって個を優先するようなことにもなる。
個と全体・類の葛藤では、類の求める営為が理性的合理性に則っておれば、個は、その生への欲求を抑止して、葛藤状態になっても、普通には類的なものをとるべきことになる。反乱・革命は時の全体・政権に背くが、それは、より公正でより普遍的な全体の理念をもってするのである。個は、根本的に類・全体の個であり、理性的で、良心や良識を内在していて、道理のある類的な営為を貫徹するように努める。そこに、理性をそなえた人間の尊厳がある。磔刑になったイエスは、人類のための犠牲になるべきことを自覚して、最期を迎えた。人を神に結ぶ媒介者となるべく覚悟して全体・類に死ぬことを意志した十字架上のイエスである。だが、かれは、「神よ、私を見捨てたのですか」と個的人間としての弱みを吐きつつ死んだ。個としては生維持の欲求を強くもち人間として葛藤しつつも、イエスは、全体のため類のためにと意志をつらぬき、その身を投げ出し犠牲となった。自らを神と妄信した人だったが、その志は、尊いものであった。