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2025/10/16

世界観を創る苦痛

7-2-5-2. 神は、まずは、災い(苦痛)の神として創造された 

 人の生には苦痛が根源的なものであるが、その苦痛は、神を創造もした。最近の神は、慈悲の歓迎したい幸いの存在となるのが普通だが、原初の神は、災いの神であった。あってほしくない狂暴で無慈悲な、人に苦痛をもたらすものとしての神が想定され創造された。自然の猛威の前に、人々は、苦しめられ、その元凶として、神を見出した。狩猟採取から農耕に発展するとともに、作物を台無しにする洪水とか干ばつは、人為で制御できるものではなかったから、そういう自然の猛威に、その背後でこれを操る神を想定して、これに脅威を感じ、これに拝跪するようなことになっていった。狩猟の時代から、狩るのではなく、自分たちが狩られることも多かったことで、それへの恐怖は、魔物、魔神を妄想させたことであろう。農耕に入るとともに、自然の猛威が作物に直接関係してきて、荒ぶる魔物が、圧倒的な魔神、邪神が想像されていった。神は、人において苦痛の災いの神として、存在してほしくないのに存在するので、せめて遠くに安らいでいてほしい、自分たちの前には現れないでほしいと懇願し祭り上げた。

 ひとは、災いには出合いたくなかった。だが、出合いたくないのに、洪水や日照りは、容赦なく人を襲った。自然の背後に、悪意を感じた。ひとは拒否し出合いたくないと意思しているのに、これが無視され、故意にワザと、邪神の邪悪なワザに出合わされるのが、ワザワイであった。逆に幸いには、ひとは、自らが出合おうと懸命になった。汗水ながして狩猟採取をし農耕をするのは、人が幸に出合うことを求めてのことであった。幸への出合い、サチ・アイ、幸いは、人自身が合いたいと求めてのことで、神などから出合いにやってくるものではなかった。幸運の宝くじは、幸は、ひとが自らに合おうと試みるもののみに限定して与えられる。「求めよ、さらば与えられん」である。しかも、いくら僥倖を願って宝くじを買っても(貧者・貪者の税金を納めても)、そう簡単に与えられるものではなかった。これと反対に、ワザワイは、出合いたくないと、細心の注意をはらって避けているものであった。その出合いたくないもの、避けているものに出合わされるのであり、そこには、自然の背後の邪悪な意思が、邪悪な神が想像された。

 幸に出合うこと、さいわいは、神からでなく、ひとが日々求めてのことで、ひとが幸に合いにいく。海山の幸に、出合いたいと命がけででかけたのが海幸彦、山幸彦であった。ひとが、探し出し、苦労をして、やっと幸に出合えたのである。神に祈ったのは、狩りが妨害されたり自分たちが狩られてしまうような災いなく、無事にということであった。そう希っても、邪悪な悪意をもった邪神がわざわざとする(故意の)行為(わざ)に出合わされて災いとなった。農耕の時代にはいると、実り、幸をもとめて、これに合うことになる幸いのためにと汗を流しながらも、収穫を目の前にして、竜神が洪水・台風などで一挙に実りを奪いさり、神のワザにあう災いとなった。

 スサノオ神(≒牛頭天王)をまつる祇園祭は、現代でも盛大であるが、これは、疫病等をもたらす、荒れスサブ、災いの神である。これを祭り上げて、どうぞ疫病などばらまかず、穏やかにしていてくださいと祀るものであった。水の神の竜神にも、似た形で祈願した。暴風雨とか洪水、逆の干ばつをもって農耕民を苦しめ災いをなす竜神に、適度の降水を願い、旱などの災いをもたらさず穏やかに安らいでいてくださいと祈願した。暴力団からの暴力を自分たちには向けないでほしいと、みかじめ料をもって懇願するように、荒ぶる神の災いを、「隣村までで堪忍してください、自分たちには向けないでください」と切望し、尊い価値あるものを献納し、拝跪した(昨今の神社の祭りには、背後に暴力団あたりをにおわせる縁日の店(的屋)が並ぶ。恐ろしい神をまつる場に、おそろしい暴力団の匂いのありそうな的屋がならんで、和やかに子供たちを楽しませる。そのことで、背後の荒ぶる神との親しさ、なごやかさを演出しているのではないかと思うがどうであろう。狂暴な竜や天神や祇園の祭りには、神輿の担ぎ手にしても、祭られる神に近い無法者・乱暴者風が似合う。神輿をぶつけ喧嘩腰になり、神の暴力が自分たちにではなく隣の町や村に降りかかるようにと必死になった姿は頼もしく映るのではないか)。