7-2-5-6. 情報革命は、やがてエゴ・感性を浄化して、新人類を創成する
情報社会の発展は、まもなく、人の生を、その動物的感性からして根本的に変えていくことになる。豊かな自然と社会に囲まれ、死をまぬがれて永生の欲求が充足できる等、人の自然感性は、余裕綽々で穏やかに理性と共同協調していくことが想定される。富みの不足に由来するマウンティングをもっての差別・収奪とか、自立精神欠如の幼児的退行をもっての虚妄の神への拝跪などしなくなるであろう。動物的な欲望・感性に由来する現代の悪の諸問題は、『創世記』のいう、知恵と永生の二つの禁断の木の実を食べる近未来においては、なくなっていくことであろう。
情報革命の先行きに悲観的なひとは、情報機器をもっての人工の知恵が人間を超えることを心配するが、何より、目の前での、感性的な邪悪な心性による高度情報の利用で地球の滅びる可能性が大きくなっている方を心配するべきである。それをしないと、エゴ・動物的感性に由来する悪は、知の悪用で巨大な力をもつ。人類破滅を一人の邪悪な人間が試みれば、実現してしまいそうである。その悪の暴走を食い止めることができるなら、未来は明るい。生命科学の発展は、直接的には、生老病死の宿命から解放するだけだが、情報革命は生老病死の苦をなくするだけではなく、物質文明を飛躍的に高めて、富が生活を十分ささえ、貪欲を無用化していく。エゴの貪欲が無化していけば、他者のものを奪うような悪行は消えていく。おそらく、永遠の命がなるようなところでは、各自の感性は、余裕が有って穏やかとなり理性的な制御もきいて、強者の動物的なマウンティングとか、弱者の宗教的麻薬への依存・執着などもなくなっていくであろう。
情報革命途上の現代社会は、どちらかというと感性自然、動物的欲求の方に振り回され、高度情報は、その便利な道具になっている面が強い。情報社会のごく初期には、バラ色に描かれた未来であったが、現在は、ウェブは、動物的欲求を満たすための道具に堕しているのが目につき、諸悪がこぞって情報の悪用に走り出し、関係者は、それの禁止・摘発に、大わらわである。知らない電話には出ないのが常識になっているほど、詐欺などがウェブには蔓延している。ウェブに精通しているのは、まずは、犯罪者だといいたくなるほどの、エゴ感性の道具になっているウェブの堕落ぶりである。
しかし、情報革命の一段落するころには、おそらく、知恵・理性の方面が一層卓越したものになるとともに、動物的自然の命の方面でも、動物を超越した新たな局面が開けてくる。もうすでに、老化抑制対策が進み、病気もかなり克服されつつあり、永遠の生命をいうことができつつある。生老病死の苦悩は消えていくであろう。そこでは、『創世記』の二つの禁断の木の実の話でいえば、知恵の木の実を食べた人間が理性において自然を超越したように、永遠の命の木の実も食べた状態になって、動物的自然生命を超越することになる。動物的な快不快の感性・感情・衝動といったものが、いまは、エゴの欲望のもとに悪の源となっているが、おのれの生、個我のために他を犠牲にといったことはなくなって、穏やかで仁・愛にあふれたものとなっていくのではないか。経済的に豊かになれば、詐欺・強盗などしようという気になる者はいなくなるであろう。性犯罪が今は多いが、女性が出産から解放されれば男女の違いは希薄になり、異性を意識する度合いは小さくなって、刑務所では食欲とちがい性欲が消滅していたように、性犯罪は根から絶たれるかも知れない。永遠の命を得て、豊かな生活で余裕綽々のもとに、感性が、惻隠の情、仁の姿をとるものとなっていけば、いまは盛んな情報の悪用なども稀有の事柄になっていくことであろう。動物的自然感性を超越して、それに発する欲求・感性・感情が、粗野な自然状態を超越しておのずからにして理性的制御のもとにたつことになるのではないか。「心の欲する所に従えども、矩を踰えず(從心所欲、不踰矩《己の欲望に従いながらも、道を外れない》)」(『論語』「為政篇」)という理想である。『創世記』の語った二つの禁断の木の実、知恵の木の実とともに、命の木の実をも食べた新人類の創成である。