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2025/11/06

世界観を創る苦痛

7-2-5-5. 人類は、なぜ、存在しない神に支配され続けたのか 

哺乳動物の子は、母乳でもって親に育まれて成長する。特に人は、未熟猿として生まれ、親にまずは全面的に依存してのみ生き延び得るから、親への依存心が強い。成長とともに自立して理性的にというが、自立は自信がなく、不安になり、苦痛になる。それを逃れて依存の快に走る。子供は親に頼り、親は祖父母に頼り、祖父母は(祖先)神を頼む。

身近な者が死んでこの世には姿を見ることができなくなっても、夢に出てくれば、この世とは別の霊界を想像することになった。ひとは、死んだ親からさかのぼって自分たちの祖先神を創造して、これの声を、神の憑依した巫女などから聴いて、それに従うことともなった。それが、拡大して、地域の氏神となり、さらには、国家にまで広がった神になって、組織だった神職が出来上がって、神の命令と称して、神の代理人としての聖職者とか王が、民を支配することとなった。この支配を好んで受け入れたのは、なによりも哺乳類としての親への幼児的な依存心であったろう。この依存を踏まえつつも、動物的恐怖もまた、豊かな想像力をマイナス方向に働かせて、邪悪な神を創り出した。それが自然を支配していることを想像した。善悪両面を具備した自分たちの神である。世俗の王も、同様に、親のように自分たちを守ってくれるということと、毒親として自分たちを支配し抑制し収奪するものの両面をもったものであった。

自立精神旺盛な現代でも、一部の信仰者は、自己を、神というかその代理人の教祖あたりに投げ出して、麻薬使用と同様に虚妄の安らぎにのめり込み、教祖たちの恰好の餌食になって、抜け出せなくなることがしばしばある。信者の、神仏、あるいは自身をそう称する教祖への依存は異常で、真実ではなく虚偽であろうことも自身でごまかし隠蔽して、これに帰依して安心を得ようとする。真実ではなく、知ではなく、信(宗教の場合、存在しない神を大前提にするので虚妄で固めて、かならず妄信となる)をとる。動物的依存の心性をもって虚妄の神のもとに理性的普遍世界をゆがめ転倒させて、これに幼児のように頼り切り拝跪する。

宗教組織でもマウンティングは強力で、神の代理人あるいは神と称する教祖や神職の信者への支配は親の幼児に対するように絶対的で、信者の方は、そのマウンティングされることにおいて自身は見捨てられることなく安堵できているのだと、その被支配(=「自由からの逃走」)に自己を投げ出し安住することになっている。自律自由の人間からの退歩・逸脱、幼児化のきわみである(王や教祖はマウンティングの獣性を満たし、その被支配者・信者は、マウンティングされて見捨てられないことに安住する。サディストとマゾヒストがお互いに補完しあっているかのようである)。それだけならまだその宗教組織内の悲劇にとどまることだが、その支配欲を現実世界全体へと拡大すると、教祖らの妄想に当然、健全な人々は従わないから、教団は、これを邪鬼・悪魔とみなしてその退治をと大量殺害等に走ることになる、教祖たちの邪悪な企てを信者は、妄信して、人類を絶滅させるような企てに全力を尽くすことになるから、その宗教的妄念は、巨悪中の巨悪となりはてる。教祖は、自身を含めた神は虚妄で無力とよく知っているので、世界を破壊するためには神を頼むようなことはしない。合理的な科学の力を悪用して、化学を習い猛毒の物質を極秘に生産し、物理学に原爆製造を学んで、邪悪な現代人は残らず始末しなくてはならないと、妄信する信者を使って狂気の犯罪を実行するようなことになる。