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2025/01/16

苦痛に耐える尊厳 

6-7-6-2. 個の能力は、類を背負って開花する  

個は、類の個であり、個として自立してはいるが根源的には非自立で、卓越した個人も、その生きる時代の子、民族の子である。その理性的能力も、時代と民族のうちにある。時代を飛び越えては発見も発明もできない。いまの最先端をいく科学技術も、すぐに全世界に広がり、各民族の卓越した多くの個のもとで、どんぐりの背比べとなる。個は、全体のうちの個である。大発見、大発明といわれるものは、個人によるとしても、それは、その時代と人類が、その個を通して実現したのである。ドイツ生まれのユダヤ人アインシュタインは、現代を導く物理的発見をした偉人だが、個としての才能は知能指数160ぐらいであったろうというから、どこにでもいる、頭の良い男と評価される程度の若者であった。しかし、時代と世界のトップランナーとなった(ちなみに、トランプ大統領も、知恵の使い方はまるでちがうけれども、ウェブによると同じぐらいの知能指数だとの噂である。自身も知能指数の高さを誇っているとかいう。が、彼を嫌悪する者たちは、知能指数70台だとこき下ろしている)。アメリカでは天才教育が盛んで、知能指数が高い(150とか200の)若者たちに特別の教育をすることがあるようだが、青年になるころには、凡人になる者が多いという。知能指数300ぐらいの男子が、成人するころには、社会にうまく適応できなくなり苦しみつつ凡人として生きることになったというような話もある。日本でも神童は、多くが大人になると凡人になる。個の才能は、その成長の中で、時代の類的精神を背負えてはじめて大きく生きてくるものなのであろう。

個が発想することは、類のその時代の求める発想である。全体・類なくして、個の人間らしい生き方は成り立ちえない。言語が人の営為の中心にあるが、その言語は、個だけのものとしては成立しない。類的にのみ可能なものである。他に伝達することが根源的な使用法であって、そこから個のうちでの理性の道具ともなる。だれもがその民族の理性・精神のもとで生きる。音楽などもその民族と時代のもの(音階など)をふまえた個である。ベートーベンは、その音楽の才能を押しつぶすような肝心の音の感覚、聴覚の悪化で散々な目にあった人物だが、時代の動きに大きく目を開いて、その時代その文明下の音楽をしっかり受け止めて、一歩先を照らすような斬新なものを発想した。ベートーベンは、先立つ時代の西洋音楽の蓄積を踏まえて成り立っている。オーケストラの成立があって、しかも時代が近代ヨーロッパ市民社会を成立させるようにとフランス革命等に歴史的展開をしていた中で、バロック音楽などとはまるでちがう、市民社会の喧騒、精神を背景にした音楽を生み出したのである。

絵画なども、類、民族や時代というものがあっての創作である。芸術の場合、類、種のそのときの精神と、個のそれのずれることがしばしばとなる。すぐれた才能を有した個は、時代や民族の先を行き、その大勢を占める精神とは合わないことが生じる。ゴッホなど、いまは、彼専門の美術館もできるぐらいに高い評価だが、彼が生きていたときには、いくら描いても売れることがなかったという。時代は、彼に冷淡であった。だが、その絵は、普遍的類的な卓越性を秘めていた。現代日本では、彼は西洋絵画の中では群を抜いて人気がある。ゴッホ自身、日本の浮世絵に、日本の風土にあこがれていたようで、日本人の琴線に触れるものを描き出しているのでもあろう。棟方志功は、このゴッホの絵(雑誌「白樺」の口絵(≪ひまわり≫の絵))をみて感激し、「わだば、日本のゴッホになる」と夢中になって油絵を描き、その中で、独自の領域として版画を見出し、個性豊かに版木におのれを彫り込んでいった。彼は、ゴッホに触発され、日本人の精神を踏まえ、現代社会の類的精神を感得して、これを版画に表現しえているのであろう、現代人からの高い評価を得ていることである。