7-7-1. 人類史は、残酷・悲惨な苦痛の歴史である
人類は、アフリカに生まれたとみなされているが、その祖は、幸せならそこに居続けたことであろう。おそらく、不幸・苦痛に駆り立てられて、出アフリカを企てたのである。飢餓の苦しみ、他の肉食・雑食の動物への恐怖、これらの苦痛が駆り立ててアジアへと向かわせたのであろう。さらに日本人の祖先となる者たちは、アジアも東の端へと追い立てられた。食料、獲物が誘った場合もあったであろうが、飢えや他の集団や動物への恐怖・苦痛が追い立てることも多かったのではないか。飢餓になれば、弱小の群れは、邪魔者扱いになるにとどまらず、獲物として追い立てられもしたであろう。中國には、民族がたくさんあって、歴史的時代になっても、飢饉では、弱小民族は、狩りの対象となることがあったようである。飢饉でなくても戦いで兵糧攻めにあえば、人間自体を食肉にするようなこともあったとか(永らく草食動物であることを強いられた日本人には、人肉食は、ほら・誇張と思われがちだが、大陸では、しばしばあったようである。唐代正史においても、安史の乱で睢陽に籠城した軍事指揮官の張巡は、食べるものが尽きて後、自身の愛妾を殺して肉として戦士に提供したという。これを端として、この戦いでは、戦士生存を優先して婦女子から順に二、三万人が食肉にされたという)。異民族は、戦いに敗ければ、全員殺害となることも珍しくなかった。つい最近でも、中國では、文化大革命という狂乱の中では、地域の幹部や教師達は辱められただけでなく、殺されて、しかも、南部の一部地域では、これを皆で豚をそうするように料理して食べたというのだから、すさまじい。
では、孤島に住む日本人は、そういう理不尽残酷な事態を免れていたので良かったかというと、これはこれで、外部の侵略・簒奪・虐殺を心配することがない代わりに、はじめの支配者が固定されて、収奪される者は、代々そのままで悲惨さを背負い続けた。飢饉ともなれば、村人全員が餓死することもめずらしくなかった。地震をはじめとする自然災害も頻繁で、『方丈記』などによると、都ですらも、行き倒れが道々にあふれていたとか。海に国土は守られて都市の城壁など不要ではあったが、その海は、しばしば荒れて、三百万余の戦死者を出した後の平和の世でも、津軽海峡の洞爺丸の転覆事故(1954年)では、一度に千人を超す死者を出した。2011年の東日本大震災では、津波の死者は二万人を超えている。まじかに迫る南海トラフ巨大地震では、死者30万人との予測である。残酷な大陸、惨めな島国、どっちもどっちであろうか。
戦争の歴史、疫病の歴史、飢餓の歴史、自然災害の歴史、この悲惨な歴史を振り返ると、ひとは、快ではなく、苦痛を味わうために生きているのではないかと思いたくなる。その悲惨さは、事実であるけれども、見方の問題でもある。平和でのどかな時代は、記すものがないので、歴史に現れないということがある。飢饉や戦乱の時のことは、皆の記憶に刻まれて残るが、穏やかな恵まれた生活をしているところでは、なにも事件がないので、記すことなく過ぎていったのである。広島の原爆やその死者のことは記憶され歴史に残されていくが、無事であった小倉の当時のことは、だれも気にしない。あれから80年になるが、80年前の歴史に記されているのは、悲劇の広島ではあっても、小倉は歴史に残る記述としては、全国史では無視されて何もなしである。戦乱の世、疫病の時代が続いたことであるが、その合間には、穏やかな日々があったのでもある。少なくとも、現在生きている私たちの祖先は、餓死・絶滅を免れて、生き残り続き得たのである。一概に悲惨な苦痛の歴史ということにはならないのかも知れない。悲喜こもごも、というあたりが、穏やかな見方になるのであろう。